#02
JAPAN

羽田空港に4本目の滑走路を建設。100年対応の新滑走路島構築に挑む。

東京国際空港(羽田空港)の4本目の滑走路となる「D滑走路」の建設工事が2007年3月に現地着工。これは国内航空輸送ネットワークの要として、年間の発着能力の増強、多様な路線網の形成、利用者利便の向上、国際線定期便の受け入れなどを目的とした国家プロジェクトだ。 

2001年に再拡張計画がスタート、2004年に入札申し込み後、落札され、JFEエンジニアリングがJV15社中の1社としてプロジェクトへ参加することが決定。D滑走路は最新旅客機にも対応して設計されている。長さ2500m、幅60mの滑走路を有する人工の空港島を海面上約13〜17mの高さに建設する。新滑走路島は埋立方式と桟橋方式とを組み合わせたハイブリット形式が特徴。JFEエンジニアリングは桟橋部の鋼製ジャケット製作と現羽田空港と新滑走路島とを結ぶ連絡誘導路の鋼製ジャケット製作と橋梁製作を主に担当することに。

約50haという広大な桟橋は、杭を海底約70mの深さまで地盤に打ち込み、その杭に鋼製のジャケットを被せ、固定する。その上にプレキャストコンクリート版を用いて床版を造り、舗装する。軟弱地盤からはるかに深く杭を打ち込むことで沈下を防ぎ、航空機の機体重量はもちろん、地震にも強い桟橋が完成する。2010年の引渡しを目指し、着々と工事が進行中だ。

羽田空港プロジェクトチームとして活躍する技術系の二人は今、新滑走路の完成を目指し、そこから航空機が無事飛び立っていく姿を思い描いている。

岩廣 真悟
1998年入社
工学研究科土木工学専攻修了
橋梁建設部橋梁設計室、津製作所鋼構造製造部設計室を経て、2004年より羽田空港プロジェクトチームに所属し、入札・実施設計業務を担当。2006年11月より15社JVの9つの製作・施工工区のうち「ジャケット製作工事工区」にて製作業務を担当
河村 康文
2001年入社
工学研究科土木工学専攻修了
津製作所鋼構造製造部生産技術室、橋梁設計部橋梁設計室を経て、2005年より羽田空港プロジェクトチームとしてD滑走路の新滑走路島および連絡誘導路の設計業務を担当

D滑走路の桟橋部に技術力を駆使。多摩川の流れに配慮したジャケットを製作・施工。

──まずお二人のプロジェクトにおける役割を聞かせてください。

【岩廣】  D滑走路の建設工事は、15社から構成される建設工事共同企業体(JV)が一体となって工事に当たっています。そのうちジャケット製作工事工区の構成員の1社として当社が参加。私はその職員として、多種多様な業務を担当しています。具体的には、ジャケット製作の施工管理やジャケットを据付ける関連他工区との協議、検査対応などを中心に行っています。 

【河村】  私は鶴見事業所において設計業務を担当しています。具体的には、岩廣さん等が参加するJVから設計図面や計算書類をいただき、それを私たちで製作用図面にアレンジ、つまり当社の各工場が造りやすい図面にするのです。また、ジャケットの部位によってそれぞれ製作する工場が異なるため、図面をハンドリングし、各工場の工程に合わせて出図するのが役割です。

──今回のD滑走路の桟橋部分はどんな特徴がありますか?

【岩廣】  D滑走路はすべて埋め立てではなく、一部が桟橋形式になっています。これは多摩川の流れを阻害しないように通水性を確保するため、しかも航空機の繰り返し走行に対する変形抑制、疲労耐久性の確保と床版自重の軽量化、広大な桟橋に作用する温度変化の影響を十分に考慮した造りが特徴です。当社においては、ジャケット上部は三重県の津製作所で製作し、JFEスチール東日本製鉄所千葉地区内に整備した千葉工場へ運び、そこでジャケット下部を合体させて、桟橋ジャケットを製作します。その後、羽田沖に曳航して据え付けているのですが、桟橋部において現在198基中50基を据え付けるところまで進捗しています(2008年7月24日時点)。

【河村】  ジャケット下部の部材については、千葉工場で組み合わせる前段階で、静岡県の清水製作所、兵庫県の播磨製作所で加工しています。このように、各工場で同時に製作が進行しています。私は岩廣さんに羽田現地の進捗状況やJV内の情報を電話等で随時聞き、私からは各工場でのジャケット製作状況を連絡しています。現地と工場の中間に立って情報を双方に橋渡しする感じです。また、岩廣さんが気がついた点をアドバイスしてもらったりもしています。岩廣さんには津製作所時代にお世話になって以来、公私ともにいろいろ教えてもらうことが多いですね。

造って終わりではない。維持管理のことも考えて試行錯誤は続く

──これまでの苦労はどんなことがありましたか?

【岩廣】  私は2004年の入札段階からD滑走路プロジェクトの業務を行っていますが、入札時にコストダウンに向けた連絡誘導路橋梁の設計業務が印象に残っています。もちろん要求品質を満足する上で、構造物のクオリティとコストのバランスを取るのに苦心しました。また、15社が集まってのJVなのでコストダウンに向けた構造形式等のコンセンサスを得ることなど難しい一面も勉強となりました。

【河村】  私は落札後の実施設計段階からプロジェクトの業務に携わっています。設計や工場製作に関しては、今でこそ比較的順調に流れていると思いますが、当初は、3000〜4000枚という膨大な枚数の図面をいかに効率よく、工場が分かりやすい体裁にまとめるか非常に苦労しました。また、工場の設備(ロボットなど)を最大限に活用できるような構造に変更してもらうよう、他社に提案し折衝するのが大変でした。

【岩廣】  このプロジェクトの特徴の一つは、D滑走路を単に造って終わりではなく、建設後の維持管理も計画段階から視野に入れているということ。そのため工事着工前の実施設計時には、河村君とは一緒に維持管理についても検討しました。一例として、桟橋構造や連絡誘導路橋梁は防食性、疲労損傷の点では大丈夫かどうか、それを常に検討してきたんです。

【河村】  新滑走路島ジャケットは、海中に打設した鋼管杭の上に搭載する63m×45m×30mの鋼製のユニット構造物です。ジャケット上部の鋼桁部はチタンのカバープレートで覆い、内部空間の湿度を管理することで鋼材の腐食を防ぎます。また、海面付近の鋼材は腐食に強いステンレスで覆い、100年以上耐えられる構造になっています。

【岩廣】  カバープレートで覆われた床面積は約50万uあり、7.9m×3.7mの部屋が約2万部屋に達する巨大迷路のようなもの。それを何年に1回どういう風に巡回して点検するかはこれからも考えていく必要があり、D滑走路ができたからといってそれで安心できない(笑)。そこは長い目で見ていく必要がありますね。ただ最初から最後まで関わる初のプロジェクトなだけに、やりがいもそれだけ大きいのだけど。


D滑走路ができた時には、ぜひ航空機に乗って離着陸してみたい

──今後の目標はどんなことになりますか?

【岩廣】  D滑走路の開港に向けて順調に工事を進めることが最大の目標。ただ100年間耐えられる構造物を目指しているので開港してもトラブルやメンテナンスで困らない、質の高い滑走路にしたいですね。

【河村】  一般の道路橋は汎用の設計ツールがありますが、航空機の場合はそれもなくて自分たちでシミュレーションする必要がありました。より強い構造が求められるので、鉄板を厚くし、溶接を強固にしています。そのために、工場のラインも新設・改良し、溶接技術にもさまざまな工夫がされています。このように、多くの方々がいろいろ試行錯誤して造っているので、ぜひ計画通りに完成し、無事に稼働することを願っています。 

【岩廣】  D滑走路ができた時には、最初にそこを滑走する飛行機にぜひ乗ってみたいです。実際、航空機が離着陸する時には大きな感慨がこみ上げてくると思いますね。

【河村】  同感です。100年耐えられるモノづくりに参加したことで、家族などにも自慢できます。ところで、岩廣さんは今後はどんな案件をやってみたいですか?

【岩廣】  JVは15社から構成されているので他社の仕事ぶりを感じられたことは収穫で、技術的・人間的に幅が広がった気がしています。こうした経験を活かし、今度は長いスパンの海外プロジェクトにもぜひ参加してみたいですね。

【河村】  私はこれまで橋梁の製作と設計を経験したので、今度は現場の架設計画を担当してみたいですね。岩廣さんが今経験されているような、この部分にどれだけお金がかかるかを割り出す積算業務や、工程管理業務まで、橋梁について一通りのことができるようになりたいと思っています。