歴史の真実を伝え残そうと遺族はいま動き始めています。
犠牲者の数や身元の特定、孤児の実態などについて国に本格的な調査を求めています。
吉田さんも集会で、調査の必要性を訴えました。
「年を重ねた私たち原告にとってはラストチャンスです。1日も早く笑顔が取り戻せるようお願い申し上げる」
東京・墨田区。集会を開いた遺族会の会長、星野 弘(ほしの・ひろし)さん81歳。空襲で親戚を亡くしました。
スカイツリーの周辺に広がる、下町は3月10日に焼き尽くされました。星野さんには忘れられない光景があります。
「この川は水が見えないくらいびっしり遺体がういていた。おぼれた死んだ人、凍死した人でうずめられていた。流れてきた遺体を引き上げる、留めぐちでひっかけて」
急速に姿を変えていく街並み。星野さんは自分たちの証言や記録が後世にもしっかり伝えられていってほしいと願っています。
「焼き殺されたそういう現場、そのためのお地蔵様もあった。そういう意味では大変複雑で、消えてしまうのではということは残念に思っている。」
孤児の体験を語ろうと、決意した吉田さん。一人でも多くの人に伝えていきたいと、動き出していました。
この日出向いたのは空襲がなければ通うはずだった墨田区内の小学校でした。空襲から67年たって初めてその門をくぐりました。
「3歳だったわたしは親の顔も声も覚えてない。三つ違うえつこは3ヶ月しか生きることができませんでした。空襲でたった3ヶ月の命も死んでしまった。生きていたら二人で業平小学校に通っていたと思う。両親もその姿を見たかっただろうなと思うと胸がいっぱいになる」