東京大空襲で孤児となった人の話。戦争の歴史を勉強してきた子どもたちにとっても、初めて耳にする生々しい体験談でした。
「わたしは戦争の時代に生まれてこなくてよかったと安心していました。戦争は体験した人の方がよくわかると思う。だけど今回吉田さんの話を聞いて戦争とはいったい何なのか伝えていきたいと思います。本当に幸せだと思います。家族で食事もできて。やっぱり平和が一番だと思いました。ありがとうございました」
「いま何気なくお父さんお母さんと言える言葉がむしろ一番平和なことだと思う。悲惨な経験はわたしたちだけでいい。皆さんには絶対してほしくない、戦争はもうこりごり」
「ありがとうございました」
「ランドセル夢だったの~」
東京大空襲から67年たって語り出した遺族たち。その証言から、生き残った人の人生をも辛く過酷なものに変えていた事実も浮かび上がっています。
「本当に悔しい。この学校に通ってみたかった。この気持ちは重いです」
中野アナ) つらい体験を、67年たってやっと話せるようになってきた人たち。どんな風にご覧になられますか?
海老名さん) そうですね、もっともっと前から話したい気持ちはありました。ただ話すのが苦しい、もう本当に苦しいんですよね。ですから話せない。でも高齢になりました。今伝えておかなかったら、あとの者に伝わらないんじゃないか、そういう思いでいっぱいです。
中野アナ) そういう思いから、海老名さんは毎年、上野で手作りの、慰霊の式典をされています。
海老名さん) 本当に最初は家族だけと思っていましたが、輪が広がりまして、沖縄から長崎から北海道から含めまして全国から体験者のかた見えます。でもご高齢になりましたから、だいぶ世代が変わってきまして、「お母さんが毎年通っていたから、私がこんど代わりに行きます」と言う人もいます。
中野アナ) そこは代々その思いを受け継いでいる家族のかたもいらっしゃるんですね。
実は去年、まとまって大量の写真、空襲直後の写真が見つかりました。
生々しい写真が多いですが、浅草の写真もあります。
海老名さん) そう、浅草寺様です。もう仲見世なんかは、ほんと通れるどころじゃありませんでした。で、私の父の妹一家は全滅しましたけど、馬道って、この横の馬道ですね、馬道であんどん屋さんをやっていたんです。で、一家全滅、6人。
中野アナ) こういう写真を見ると生々しく当時の様子っていうのを思い浮かびますか?
海老名さん) 思い出しますね、はい。