1945年、3月10日。午前0時8分。
東京の街に、300機を越えるB29から、焼夷弾が雨のように落とされました。
子どもをおぶっていて背中だけ焼けなかった母親の遺体。
空襲は、無抵抗だった市民の命を奪いました。
10万人以上の市民が犠牲となり、東京の市街地は半分以上焼き尽くされました。
空襲で家族5人をなくした平田さんは、自らも手に焼夷弾を受けました。
傷跡に苦しみ続けた67年間の人生。今だからこそ、自らの体験を伝えたいと語り始めています。
「これだってのびない。ひどいもんだ。人が経験しないこと経験したから」
遺族たちは、これまで口にしてこなかった悲惨な体験を伝え残そうとしています。
「どれだけの子どもたちが戦争孤児になっていって死んでいったか」
空襲の犠牲者を弔う慰霊堂。ほとんどが身元不明です。
半年以上にわたって100回以上繰り返されてきた東京大空襲。その被害の全貌はまったくわかっていませんでした。
しかし、いま遺族たちの証言や新たな資料によって東京大空襲の実態が明らかにされつつあります。