中野アナ) それからVTRでは、家族を亡くして、孤児になった方いました。海老名さんもご兄弟亡くされて、その後の日々はつらいものが、ありましたね。
海老名さん) はい。あの戦争は人まで変えてしまって。優しかった、おじさん、おばさん、までも人ががらりと変わってしまうんです。で、さきほど言われましたように、「おまえなんか生きてて」って言うこともよく大人たちに浴びせられました。でも親の愛っていうのはありがたいもので、孤児になりましても、あの別れの時にずっと母が「いつも笑顔でいるのよって、どんなことがあっても笑顔でいるのよって、笑顔でいれば、みんなに好かれるし、生きていかれるのよ」って、そう言ってくれました。ですから苦しい時でも何でも、にこにこしていました。
この写真なんかそうですけど、焼けた木を拾って、お鍋を拾って、火をつけまして、雑草を摘んで。焼跡に雑草が生えてきたんですよ。ハコベだとかアカザ。ツルムラサキが出てきた時はもう、うれしくて。それを摘んで。それで時々手に入るスマコ、あの麦の皮の赤くてざらざらしていた、あれを入れまして、それを食べました。
でも悪いことだけはしまいと思っていました。しないで済みました。親のおかげです。死んだ親たちの。
中野アナ) 67年たってですね、改めてこの日をどういうふうに迎えて、どういうことを伝えていきたいと思いますか?
海老名さん) みなさん、戦争の悲しみだとか苦しさ、体験者以外はもう風化したように、感じられなくなりましたけど、あの、朝起きて、歯を磨くだけで私はホッとするんです。その当時、歯なんて磨けませんでした。歯磨き粉は無いし、歯ブラシなんて毛が抜けちゃって。今、朝起きて歯を磨くと、ああ平和になったなって、この平和を続けていかなくちゃなって、そう思います。
中野アナ) それを一人でも多くの人に忘れずにいてほしい。
海老名さん) はい。もう孤児の悲しみはありません。もう私みたいな悲しい子は作らないでほしい。そんな思いです。
中野アナ) どうもありがとうございました。今日は海老名香葉子さんと共にお伝えしました。