10万人を超える市民が犠牲となった東京大空襲。
最も大規模な空襲は67年前の3月10日未明のことでした。
ゲストは落語家、初代林家三平さんの妻でエッセイストの海老名香葉子さんです。
3月10日の空襲では、ご家族6人を亡くされました。
その後、著書の中で空襲やご自身の体験について数多く書いています。
中野アナ) 毎年、この日というのは、どんな風にお迎えになりますか?
海老名さん) そうですね、小学校5年生のときからですから、毎年3月10日は、あの地を歩き…私の一年で一番涙の日です。子供たちに伝え、孫たちに伝えております。大勢の人に少しでも知っていただこう、そういう思いでございます。
3月10日の空襲として知られている東京大空襲。実は100回以上、空襲を受けていたが、その実態は、証言者や資料が乏しく、ほとんどが分かっていません。
今、重い口を開き始めた遺族たちからの証言から、これまでは見えてこなかった空襲の実態が明らかになりつつあります。
東京・渋谷区に住む白根 嘉代子(しらね・かよこ)さん、85歳です。
18歳のとき、空襲で母を亡くした辛い体験を67年間、忘れよう忘れようと生きてきました。そして誰にも話すことはありませんでした。
「悲惨な記憶だから思い出さないようにどこかに封じ込めているのかもしれません」
しかし、母の命を奪った空襲の悲惨さを伝えたい想いもありました。
そして白根さんは最後に母が着ていた着物などの遺品を東京都に寄贈することにしました。
都では空襲を伝える資料館を作るために遺品の提供を呼びかけていたからです。