生きていくために盗みなどをせざるをえなかった、多くの戦争孤児。
次第に『治安を乱す存在』ととらえられるようになります。
『狩り込み』と呼ばれた警察などによる取り締まりを、受けるようになりました。
戦争孤児の研究をする、前田一男(まえだかずお)さんです。
当時日本は、食糧難の対応や経済の建て直しが優先され、孤児に救済の手が差し伸べられることはほとんどなかったと言います。
「世の中を安定させていくためには、ある意味邪魔な存在というような意味合いが、その狩り込みという言葉に象徴的に現れていると思いますね。だからこそ保護したり、教育しなきゃいけない、されなくてはいけない存在が、治安の対象にされていく/自己責任ですよ。ちょっと極端な言い方をすると。10歳前後の子供たちが自己責任を負って生きて行いけと、そういうふうな突き放され方をしたんじゃないかと思いますね。」
『当時の体験を記録として残せないか』。
20年前には、戦争孤児を対象にアンケート調査が行われていました。
調査をしたのは、1人の戦争孤児。多くの孤児の居場所を探し出し、50人に当時の状況を尋ねました。
しかし。
『文字にしたくない』。
『自分の子どもにもなかなか語れない』。
ほとんどの人が、自分の体験を具体的に答えませんでした。
『このままでは戦争孤児が高齢化する中で、その記憶が失われてしまう』。
孤児と研究者は、様々な形で記録を残せないかと動き始めました。