上野駅の地下道が、忘れられない場所だという、戦争孤児がいます。
金子トシさん、82歳です。15歳の時に空襲で親を失い、ここで、ふたりの兄弟と、暮らしました。
上野駅の地下道に、あふれていた戦争孤児。幼い孤児が病気や飢えで、次々と死んでいく様子が今も、金子さんの脳裏から離れません。
弟は10歳、妹は8歳。まったく先の見えない不安の中で生きていました。
手にしたわずかな金で得た、食べ物を分け合い、飢えをしのいでいました。
「孤児がずらーっとここに並んで、寝てた/弟と妹と3人で丸まって/ここで過ごしていたという事ですね どうやって食べてたの?さつまいもをふかしていたおばちゃんが、あの階段の所で売ってた。それを買って食べただけです。私は食べない日もありました。だってお金がなくなちゃたら大変。」
まわりの孤児たちが次々と亡くなる中で金子さんの妹や弟も衰弱していきます。
次第にしゃべらず、起き上がることもなくなっていきました。
「もう精一杯です。ほんとうに。なんて言っていいかね。いつまでこうしているのだろうか。やっぱり、涙が出ましたよ。私よりも小さいのが(弟と妹)がね、死んでしまうでしょ。ほんとうになんて言っていいか、分からないですね。」
その後、兄弟は親戚に引き取られますが、長くはいられず、金子さんは住み込みの奉公に出ました。
3人は離ればなれとなって、戦後を生き抜いたのです。