母親の写真が一枚も残っていない山田さん。
思い出は、母が口ずさんでいた歌だけです。
最後に、母にあてて書いた手紙を読みました。
「戦争孤児となった私は、同じ浮浪児仲間と戦後の荒れ果てた町で、周囲の人から棒を持って野良犬のように追われ、ばい菌の塊と呼ばれ、ゴミのように水をかけられ逃げ回りました。お母さんあなたが命を犠牲にして守った我が子のそんな哀れな姿を見たら、どんなに悲しむでしょう。何よりも辛かったのは、自分には帰るふるさとがない、支えてくれる家族がいない、たった一人という孤独感でした。つらすぎて何度も死を考えながらそれでも、とことん生きてやるという思いにさせてくれたのは、自分を犠牲にして私を守り、生き埋めになったままのあなたの無念な思いに対して『母さん、私はここまで生きてきたよ』と、自分が生きてきた証を残したかったからです。私はその見えない、あなたに支えられて生きてきました。
ありがとうお母さん。あなたの子どもはここまで生きてきました。苦しくて投げ出したくなることも何度もありましたが、何とか(ですね)頑張りました。」